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東海地方
青野藩/稲葉家1万2千石:稲葉正休 江戸城内で大老堀田正俊を刺殺したため改易の上で廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 青野藩 【説明】 元和4年(1618年)、「稲葉正成」の子「稲葉正次」が幕府に仕えて5000石を与えられた。寛永5年(1628年)5月に正次は死去し、嗣子の稲葉正能は幼少のため、弟の「稲葉正吉」が後を継いだ。明暦2年(1656年)12月に正吉の後を継い... -
東海地方
美濃平塚藩
【藩名】 美濃平塚藩 【説明】 ※作成中 【場所・アクセス・地図】 -
東海地方
福束藩
【藩名】 福束藩 【説明】 ※作成中 【場所・アクセス・地図】 -
東海地方
大垣新田藩(大垣藩支藩)/戸田家1万石:戸田氏良 戊辰戦争では新政府軍に恭順し北越戦争に従軍した別名野村藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大垣新田藩(大垣藩支藩) 【説明】 明暦元年(1655年)、戸田氏鉄の次男「戸田氏経」は兄の「戸田氏信」から美濃国大野郡内の新田4,000石を加増されて6,200石の知行を得た。その後、「戸田氏利」が後を継ぎ、元禄元年(1688年)7月、さらに氏利... -
東海地方
黒野藩/加藤家4万石:加藤貞泰 関ヶ原の戦いでは途中から東軍へ加担し家名を保ち最後は米子藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 黒野藩 【説明】 「豊臣秀吉」の家臣であった「加藤貞泰(加藤光泰の子)」は、文禄4年(1595年)に美濃黒野に4万石を与えられた。「関ヶ原の戦い」で貞泰は最初、西軍に与していたが途中から東軍に寝返り、本戦では「井伊直政」軍に属して活躍し... -
東海地方
揖斐藩/西尾家3万石:西尾嘉教 無嗣断絶により改易・廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 揖斐藩 【説明】 戦国時代「西尾光教」は斎藤氏、織田氏、豊臣氏に仕えて曽根に2万石を領していた。「関ヶ原の戦い」で西軍の「大谷吉継」の制止を振り切って「徳川家康」に与したため、吉継によって曽根城は焼き払われた。その後、光教は岐阜城... -
東海地方
高須藩(尾張藩支藩)/松平家3万石:松平義勇 幕末に活躍した藩主を多く養子に出した高須藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高須藩(尾張藩支藩) 【説明】 信濃伊那郡・高井郡・水内郡内に3万石の所領を得ていた尾張藩第2代藩主「徳川光友」の次男「松平義行」は元禄13年(1700年)3月25日、所領の半分である1万5000石を高井郡・水内郡の領地と美濃国石津郡・海西郡内の... -
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加賀野井藩
【藩名】 加賀野井藩 【説明】 ※作成中 【場所・アクセス・地図】 -
東海地方
今尾藩(尾張藩附家老)/竹腰家3万石:竹腰正旧 代々尾張藩の附家老にて明治維新と共に独立大名となった今尾藩【幕末維新写真館】
【藩名】 今尾藩(尾張藩附家老) 【説明】 今尾城を領していた「市橋長勝」は「関ヶ原の戦い」で東軍に与したことで所領を安堵された。慶長15年(1610年)、「中村一忠」の改易により長勝は伯耆矢橋藩へ転封となったため、元和5年(1619年)に「竹腰正信... -
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尾張黒田藩/一柳家3万石:一柳直盛 伊勢神戸藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 尾張黒田藩 【説明】 戦国時代の尾張は織田信長の領国であったが、信長が尾張を完全に制圧する前には「織田伊勢守家」に仕えていた「山内盛豊」が治めていた。ちなみに盛豊の次男が「山内一豊」である。盛豊が戦死した後、黒田の地は織田氏の一族... -
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緒川藩/水野家9千820石:水野分長 徳川家康の従兄弟でもあり重宝された水野氏 三河新城藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 緒川藩 【説明】 緒川の地は、戦国時代初期から中期にかけての水野氏の本拠地であった。第4代当主「水野忠政」の次男「水野信元」、三男「水野忠守」、九男「水野忠重」が領主を歴任しながら、徳川家康の旗下として各地で奮戦した。慶長5年(1600... -
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三河水野藩/水野家1万石:水野忠胤 与力武将の刃傷沙汰と職務不手際の罪で切腹となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 三河水野藩 【説明】 「水野勝成」の弟「水野忠胤」は「関ヶ原の戦い」において戦功を挙げ、なおかつ「徳川家康」の従弟に当たるということから、戦後に三河国内に1万石を与えられ、大名となった。 しかし、慶長14年(1609年)9月、遠州浜松藩5万... -
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大浜藩/水野家1万4千石:水野忠友 駿河沼津藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 大浜藩 【説明】 明和5年(1768年)、信濃国佐久郡に9000石を領していた「水野忠友」が若年寄、そして奥勤兼側衆となって5000石を新たに加増されたため、1万4000石の大名として大浜藩を立藩した。 安永3年(1774年)7月、忠友は「田沼意次」の四... -
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形原藩/松平家1万石:松平家信 摂津高槻藩へ加増転封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 形原藩 【説明】 「松平家信」は徳川家康に仕えて度々功を挙げたことから、三河形原に5000石を与えられた。元和4年(1618年)9月に安房国内において5000石を加増されて1万石の大名となり、形原藩を立藩した。しかし藩政においては家信はほとんど... -
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深溝藩/板倉家1万5千石:板倉重昌 島原の乱にて戦死 嫡子重矩が藩庁を三河中島藩へ移転したため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 深溝藩 【説明】 慶長19年(1614年)7月、山城国において1,000石を領していた「板倉重昌」は深溝にて1,230石を加増された。その後も家康の側近として活躍し、家康死去の時点では5,230石を領する大身の旗本となっていた。 寛永元年(1624年)、重... -
東海地方
三河中島藩/板倉家5万石:板倉重矩 幕府要職を歴任し下野烏山藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 三河中島藩 【説明】 「板倉重矩」は家督相続のとき藩庁を深溝から中島に移し三河中島藩1万石が立藩した。重矩は万治3年(1660年)11月に大坂定番に任じられて功を挙げたことから、1万石を加増された。 寛文5年(1665年)12月には老中に栄進し、... -
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奥殿藩/松平家1万6千石:松平乗謨 信濃国佐久郡田野口へ移転し龍岡五稜郭建造のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 奥殿藩 【説明】 第7代藩主となった奥殿藩主「松平乗利」は有能な名君で、文武を奨励して演武場、藩校・明徳館などを創設している。天保4年(1833年)の凶作時には、窮民に対する救済も万全に行なうなど、他の歴代藩主と比較して賞賛されるほどの... -
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伊保藩/本多家1万5千石:本多忠晴 遠江相良藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊保藩 【説明】 慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で東軍に与した岩崎城7000石の領主である「丹羽氏次」は、戦後に恩賞として3000石を加増されたことから1万石の大名として伊保藩を立藩した。氏次は関ヶ原の戦いの翌年に死去し、後を子の「丹... -
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足助藩/本多家7千石:本多忠陳 1万石大名となるが勤務怠慢のため減封となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 足助藩 【説明】 徳川四天王で有名な「本多忠勝」の孫「本多忠義」の五男である「本多忠周」は加茂郡足助村に陣屋を置き7000石の交代寄合となった。忠周は天和3年(1683年)に寺社奉行となったことから3000石の加増を受け、これにより合計1万石の... -
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畑村藩(大垣新田藩)/戸田家1万石:戸田氏良 戊辰戦争では北越戦争にも従軍した大垣新田藩【幕末維新写真館】
【藩名】 畑村藩(大垣新田藩) 【説明】 元禄元年(1688年)7月、「戸田氏利」の後を継いだ「戸田氏成」のときに兄の戸田氏定から美濃国内の新田3000石を分与され、さらに養父の氏利の所領と渥美郡内の新田分を合わせて1万石となったため、大垣新田藩が立...


