Jphistory– Author –
-
東海地方
伊勢林藩/織田家1万石:織田信重 家督相続を巡り改易された藩祖織田信包の林藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊勢林藩 【説明】 「織田信包」の長男「織田信重」は、慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で徳川家康率いる東軍に与したため、林1万石の所領を安堵され、林藩を立藩した。しかし実権は父の信包が握っていた。その信包が「大坂冬の陣」直前に72... -
東海地方
伊勢西条藩(南林崎藩)/有馬家1万石:有馬氏恕 上総国五井に陣屋を移転したため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 伊勢西条藩(南林崎藩) 【説明】 伊勢西条藩は、筑後久留米藩主家の分家であり、久留米藩初代藩主「有馬豊氏」の三男「有馬頼次」を藩祖とする。頼次は「徳川忠長」に仕えて1万石を得ていたが、忠長改易に伴って所領を失った。頼次の継嗣「有馬... -
東海地方
八田藩/加納家1万3千石:加納久儔 飛地である上総国一宮へ陣屋移転のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 八田藩 【説明】 三河国出身の「加納久直」が徳川家康に仕えて紀州藩に属するのが始まりである。久直の孫「加納久通」は紀州藩主「徳川吉宗」の将軍就任に従って江戸城に入り、延享2年(1745年)に吉宗が隠居したときには若年寄に任じられて吉宗... -
東海地方
久居藩(津藩支藩)/藤堂家5万8千700石:藤堂高邦 本藩に従い新政府軍に恭順した久居藩【幕末維新写真館】
【藩名】 久居藩(津藩支藩) 【説明】 寛文9年(1669年)、津藩の第2代藩主「藤堂高次」が隠居して家督を子の「藤堂高久」に譲ったとき、次男の「藤堂高通」に5万石を分与して津藩の支藩である久居藩を立藩した。築城は幕府より許可されず久居陣屋と城下... -
東海地方
菰野藩/土方家1万2千石:土方雄志 幕末では新政府軍に恭順し家名を保った菰野藩【幕末維新写真館】
【藩名】 菰野藩 【説明】 藩祖は「土方雄久」の長男「土方雄氏」である。雄氏は織田信雄、豊臣秀吉に仕えて伊勢菰野に1万石を領していたが、慶長4年(1599年)に徳川家康暗殺事件に巻き込まれて所領を没収され、常陸国太田に追放となった。しかし「関ヶ原... -
東海地方
美濃脇坂藩/脇坂家1万石:脇坂安信 池田家の世継ぎ分与問題の不始末により改易の上で廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 美濃脇坂藩 【説明】 「加藤清正」や「福島正則」と並ぶ賤ヶ岳の七本槍の一人として知られる「脇坂安治」の三男「脇坂安信」は「徳川家康」に仕えていた。大坂の陣では、「酒井忠世」と協力して多くの武功を挙げたため、美濃国内に1万石を与えら... -
東海地方
美濃長谷川藩/長谷川家1万石:長谷川守知 弟の守勝に分与したため旗本となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 美濃長谷川藩 【説明】 「長谷川宗仁」の子「長谷川守知」は織田信長、豊臣秀吉に仕えた。慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」では西軍に与して石田三成の居城である佐和山城に籠もっていたが、9月15日の関ヶ原の本戦で西軍が壊滅し、東軍の「小... -
東海地方
野村藩/戸田家1万3千石:戸田氏良 版籍奉還後に大垣新田藩から野村藩に改名【幕末維新写真館】
【藩名】 野村藩(大垣新田藩) 【説明】 慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で、織田長孝(織田有楽斎長益の長男)は東軍に与して戦功を挙げたため、大野などに1万石を与えられて野村藩を立藩した。だが、寛永8年(1631年)7月、長孝の子「織田長則」が... -
東海地方
曽根藩/西尾家2万石:西尾光教 美濃揖斐藩に加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 曽根藩 【説明】 戦国時代、曽根城は斎藤道三、織田信長に仕えた西美濃三人衆の一人「稲葉良通(一鉄)」が治めていた。しかし良通の孫「稲葉典通」は天正15年(1587年)の九州征伐において不手際があったことから、豊臣秀吉の怒りをかって蟄居さ... -
東海地方
清水藩/稲葉家1万2千石:稲葉通重 京都祇園で乱行のため改易となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 清水藩 【説明】 「斎藤道三」や「織田信長」に仕えた西美濃三人衆の一人「稲葉良通(一鉄)」は、嫡男の「稲葉貞通」に家督を譲っていた。貞通の庶兄に「稲葉重通」がいたが、父一鉄の死後、清水を中心に1万2000石の所領を領した。重通は慶長3年... -
東海地方
美濃高松藩<松ノ木藩>/徳永家3万石:徳永寿昌 関ヶ原の戦いの功績で美濃高須藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 美濃高松藩<松ノ木藩> 【説明】 美濃高松城にははじめ、吉村信実・吉村氏吉が入封していた。吉村親子は「織田信長」に仕えたが、信長没後はその次男である「織田信雄」に仕えた。しかし信雄が改易されると吉村親子は「徳川家康」に従い関東に移... -
東海地方
徳野藩/平岡家1万石:平岡頼資 家督争いの為廃藩となり旗本として残った平岡家【幕末維新写真館】
【藩名】 徳野藩 【説明】 慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で東軍に寝返ったことで有名な「小早川秀秋」だが、その寝返り工作をした家老に「稲葉正成」と「平岡頼勝」がいた。頼勝は慶長7年(1602年)に秀秋が死去して小早川家が断絶すると流浪の身と... -
関東地方
金山藩/松平家2万5千石:松平忠頼 遠州浜松藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 金山藩 【説明】 天正10年(1582年)3月の「甲州討伐」で武功を挙げたため、「鬼武蔵」と称された「森長可」は金山と北信濃4郡、あわせて20万9700石を与えられた。同年6月、信長が「本能寺の変」にて明智光秀により討たれると上杉氏や武田氏遺臣... -
東海地方
岩滝藩/本庄家1万石:本庄道章 石畑へ藩庁を移したため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 岩滝藩 【説明】 「本庄道章」の祖父「本庄道芳」は時の将軍「徳川綱吉」の母「桂昌院」の異母兄であったため、道章は宝永2年(1705年)3月に1万石の大名として取り立てられた。そして諸侯に列して岩滝藩を立藩した。はじめは美濃各務郡の岩滝村... -
東海地方
上有知藩/金森家2万石:金森長光 長近が分与して立藩されたが6歳にして夭折したため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 上有知藩 【説明】 「豊臣秀吉」は「佐藤秀方」に上有知城2万5,000石を与えて統治させた。その子の「佐藤方政」は慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で西軍に加担して岐阜城の戦いにおいて戦線離脱したため改易された。 一方、方政の叔父で飛騨... -
東海地方
関藩/大島家1万8千石:大島光義 家督を継いだ光成が兄弟へ分与したため大名から旗本となり廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 関藩 【説明】 関藩の藩祖は「大島光義」である。光義は織田信長・豊臣秀吉に仕え、慶長3年(1598年)に1万1200石を与えられて大名となった。 慶長5年(1600年)に勃発した「関ヶ原の戦い」では、西軍参謀「石田三成」に妻子を人質に取られたが、... -
東海地方
高富藩/本庄家1万石:本庄道美 幕末時には藩財政が破綻し新政府軍にいち早く恭順した高富藩【幕末維新写真館】
【藩名】 高富藩 【説明】 第10代藩主「本庄道美」が当主の時に藩財政は完全に破綻し、慶応4年(1868年)には藩内で打ちこわし、百姓一揆が起こった。この頃、高富藩は20万7400両もの借財を抱えていた。藩内の庄屋をはじめとする豪農にも多額の借財があっ... -
東海地方
太田山藩
【藩名】 太田山藩 【説明】 ※作成中 【場所・アクセス・地図】 -
東海地方
十七条藩/稲葉家1万石:稲葉正成 下野真岡藩へ加増転封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 十七条藩 【説明】 「小早川秀秋」の家老「稲葉正成」は「関ヶ原の戦い」で「平岡頼勝」とともに秀秋の東軍裏切り工作を行なった人物として有名であるが、秀秋没後に浪人する。やがて「徳川家康」に召し出され、慶長12年(1607年)、美濃国内に1... -
東海地方
多良藩/関家3万石:関一政 関ヶ原の恩賞として旧領伊勢亀山藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】
【藩名】 多良藩 【説明】 織田信長・豊臣秀吉に仕えた「関盛信」には「関一政」という息子がいた。一政は天正10年(1582年)から天正16年(1588年)まで多良を支配していたが、やがて「蒲生氏郷」の与力大名として会津に移されたため、多良は大垣城主の支...


