坂本龍馬– tag –
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坂本龍馬の手紙
坂本乙女 宛(姉乙女に千葉佐那を紹介)
坂本乙女 宛(姉乙女に千葉佐那を紹介) 原文 此はなしハまづ々人にゆハれんぞよ。すこしわけがある。長刀順付ハ千葉先生より越前老公へあがり候人江、御申付ニて書きたるなり。此人ハおさなというなり。本ハ乙女とい〃しなり。今年廿六歳ニなり候。馬によ... -
坂本龍馬の手紙
村田巳三郎宛
村田巳三郎宛 原文 唯今肥後邸ニ横井を尋候所、夜前申合候通、伏水ニ相待と申て、今日八ツ時頃、出足ニて候よし。下拙ニ於ても一言、神戸へまて申遣し度儀も有之、又先刻御談申せし儀も有て、薩邸ニも早々参多し。故ニ今夜伏水ニ下り明朝上京と存じ付候間... -
坂本龍馬の手紙
坂本乙女 宛(日本の洗濯)
坂本乙女 宛(日本の洗濯) 原文 この文は極大事の事ばかりにて、けしてべちやべちやシヤベクリには、ホヽヲホヽヲいややの、けして見せられるぞえ。六月廿日あまりいくかゝきょうのひは忘れたり。一筆さしあげ申候。先日杉の方より御書拝見仕候。ありがた... -
坂本龍馬の手紙
内蔵太の母 宛
内蔵太の母 宛 原文 いさ〃か御心をやすめんとて、六月十六日に認候文。直陰龍馬よりも申上候。扨、蔵が一件ハ今朝廷のおぼしめしもつらぬかず、土州を初メ諸藩のとの様がた皆々国にかへり、蔵が心中にハ思よふ土州など世の中のあまりむつかしくなき時ハ、... -
坂本龍馬の手紙
坂本乙女 宛(エヘンの手紙その一)
坂本乙女 宛(エヘンの手紙その一) 原文 此頃ハ天下無二の軍学者勝麟太郎という大先生に門人となり、ことの外かわいがられ候て、先きゃくぶんのようなものになり申候。ちかきうちには大坂より十里あまりの地にて、兵庫という所にて、おおきに海軍をおしえ... -
坂本龍馬の手紙
坂本乙女 宛(脱藩後初の手紙)
坂本乙女 宛(脱藩後初の手紙) 原文 扨も/\人間の一世ハがてんの行ぬハ元よりの事、うんのわるいものハふろよりいでんとして、きんたまをつめわりて死ぬるものもあり。夫とくらべてハ私などハ、うんがつよくなにほど死ぬるバへでゝもしなれず、じぶんで... -
写真集(城・城跡・銅像)
田中良助 宛(借金借用の手紙)
田中良助 宛(借金借用の手紙) 原文 一、金子弐両也。右者下拙儀讃州地方ニ罷越ニ付、金子入用ニ付借金候事実正ニ候。返弁之儀当暮限壱割五歩之利足を加、元利共必然皆済可致、仍之借用始末如件候。文久辛酉歳十月十四日坂本龍馬良助殿 現代文 一、金子2... -
坂本龍馬の手紙
平井かほ 宛(龍馬初恋の人への手紙)
平井かほ 宛(龍馬初恋の人への手紙) 原文 先づ〃御無事とぞんじ上候。天下の時勢切迫致し候に付、一、高マチ袴一、ブッサキ羽織一、宗十郎頭巾外に細き大小一腰各々一ツ、御用意あり度存上候。九月十三日坂本龍馬平井かほどの 現代文 まず、ご無事で何よ... -
写真集(城・城跡・銅像)
清井権二郎 宛
清井権二郎 宛 原文 愈々御安全之由、奉賀入候。然バ銭之議御申越被下候得共、此節一向ニ銭切ニ而困入申候。此間之中ニ田舎より登候ハバ、其節差上可申候。(不明)五月廿五日坂本龍馬清井権二郎殿 現代文 いよいよご安全なようで、謹んでお祝い致します。... -
坂本龍馬の手紙
住谷寅之助・大胡聿蔵 宛
住谷寅之助・大胡聿蔵 宛 原文 尊札拝見仕候。寒気之節益御安泰、長途無御障り御修行、珍重之御儀奉存候。抑被越候御趣、何レ拝顔之上御相談可申上奉存候。然ニ奴儀無拠要用ニ相掛居申候間、明後出足ニ而其御許迄参上可仕奉存候。誠ニ偏境之地、殊ニ山中御... -
坂本龍馬の手紙
坂本乙女 宛
坂本乙女 宛 原文 二白、御家内へも宜敷御伝声可被下候、以上。一筆啓上仕候。冷気次第に相増し候へ共、弥御安全可被成目出度奉存候。随而野生儀道中筋無異議江戸に着仕り、築地屋敷に罷在候。乍懼御休意被下度候。陳者出足の節は御懇念被下、又御見事成る... -
坂本龍馬の手紙
相良屋源之助 宛
相良屋源之助 宛 原文 二白、御家内へも宜敷御伝声可被下候、以上。一筆啓上仕候。冷気次第に相増し候へ共、弥御安全可被成目出度奉存候。随而野生儀道中筋無異議江戸に着仕り、築地屋敷に罷在候。乍懼御休意被下度候。陳者出足の節は御懇念被下、又御見事... -
坂本龍馬の手紙
坂本八平(父)宛(最古の手紙)
坂本八平(父)宛(最古の手紙) 原文 一筆啓上仕候。秋気次第に相増候所、愈々御機嫌能可被成御座、目出度千万存奉候。次に私儀無異に相暮申候。御休心可被成下候。兄御許にアメリカ沙汰申上候に付、御覧可被成候。先は急用御座候に付、早書乱書御推覧可... -
海援隊士
坂本 龍馬【土佐藩出身 海援隊士 幕末亀山社中】
坂本 龍馬 出身 土佐藩 職名 隊長 坂本龍馬は誰もが知る有名な歴史上の人物で、大政奉還の影の立役者であり、薩長同盟の立役者でもある。勝海舟が幕府の許可を得て運営していた神戸海軍塾が取りつぶしとなった後、龍馬ら土佐脱藩浪士達は行く場をなくし途... -
四国
高知城:山内一豊が関ヶ原の戦いの戦功により得た土佐24万石の高知城 【お城特集 日本の歴史】
【城名】 高知城 【城の説明】 関ヶ原の戦いの功績により徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊は、長宗我部元親・盛親が居城としていた浦戸城に取りあえず入城する。しかし、慶長6年(1601年)に大高坂山に新たな城の築城を始め、慶長8年(1603年)に本...


