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	第一長崎丸【江戸幕府 輸送船 幕末軍艦】 へのコメント	</title>
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	<description>日本の歴史ガイドでは日本の城・史跡・銅像（アクセス・地図・場所）をご紹介。戦国時代、江戸時代、幕末（新撰組・海援隊・坂本龍馬の手紙現代文）</description>
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		<title>
		鳥海十四蔵 より		</title>
		<link>https://www.jp-history.info/end-of-edo-period/2373.html#comment-1253</link>

		<dc:creator><![CDATA[鳥海十四蔵]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 13 Jan 2019 14:03:19 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[&lt;a href=&quot;https://www.jp-history.info/end-of-edo-period/2373.html#comment-1251&quot;&gt;JUMPEI&lt;/a&gt; への返信。

JUPEI様
これまで知られていない、「第一長崎丸、長崎丸一番、またはヴィクトリア号」に搭乗されていた曽祖父様の記録があったことは驚きです。誠に貴重な記録と思われますので、是非何らかの形で公にされることを切望いたします。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="https://www.jp-history.info/end-of-edo-period/2373.html#comment-1251">JUMPEI</a> への返信。</p>
<p>JUPEI様<br />
これまで知られていない、「第一長崎丸、長崎丸一番、またはヴィクトリア号」に搭乗されていた曽祖父様の記録があったことは驚きです。誠に貴重な記録と思われますので、是非何らかの形で公にされることを切望いたします。</p>
]]></content:encoded>
		
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		<title>
		鳥海十四蔵 より		</title>
		<link>https://www.jp-history.info/end-of-edo-period/2373.html#comment-1252</link>

		<dc:creator><![CDATA[鳥海十四蔵]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 13 Jan 2019 13:55:48 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[同船の八丈島での難破を記録した近藤富蔵著「八丈実記」は「長崎丸二號」と記載してあります。これを「第二長崎丸」と読むのは混乱の許です。幕府（長崎奉行所）が購入した「ヴィクトリア」は勝海舟の「海軍歴史」収載の「船譜」では「長崎丸一番」、文倉平次郎著「幕末軍艦咸臨丸」の記述では「第一長崎丸」と記述され、これら基本的文献では「長崎丸○號」という表現は使われていない。この船に搭乗して遭難した船長格の本木昌造や機関士だった平野富二の伝記ではこの船は「ヴィクトリア号」と呼ばれ、文久三年三月に同時購入された「チャールズ号」（Sir Charles Forbes）と区別されていた。搭乗者の間では「長崎丸○番」または「第○長崎丸」の呼称は一般的でなかったと考えるのが妥当です。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>同船の八丈島での難破を記録した近藤富蔵著「八丈実記」は「長崎丸二號」と記載してあります。これを「第二長崎丸」と読むのは混乱の許です。幕府（長崎奉行所）が購入した「ヴィクトリア」は勝海舟の「海軍歴史」収載の「船譜」では「長崎丸一番」、文倉平次郎著「幕末軍艦咸臨丸」の記述では「第一長崎丸」と記述され、これら基本的文献では「長崎丸○號」という表現は使われていない。この船に搭乗して遭難した船長格の本木昌造や機関士だった平野富二の伝記ではこの船は「ヴィクトリア号」と呼ばれ、文久三年三月に同時購入された「チャールズ号」（Sir Charles Forbes）と区別されていた。搭乗者の間では「長崎丸○番」または「第○長崎丸」の呼称は一般的でなかったと考えるのが妥当です。</p>
]]></content:encoded>
		
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		<title>
		JUMPEI より		</title>
		<link>https://www.jp-history.info/end-of-edo-period/2373.html#comment-1251</link>

		<dc:creator><![CDATA[JUMPEI]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 16 Dec 2018 01:04:20 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[八丈島で難破したのは、「第二長崎丸」では？　私の曾祖父が長崎より同艦に乗船していて八丈島で難破や種痘の話を祖母から子供の頃聞いていました。最近遺品を整理していて、難破時の状況等を記述した曾祖父の記録があり、本当のことだったのか調べたところ『ヴィクトリア銘洋鐘』の記述をネットで発見したのですが、それには「第二長崎丸」となっていました。どうなんでしょうか？]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>八丈島で難破したのは、「第二長崎丸」では？　私の曾祖父が長崎より同艦に乗船していて八丈島で難破や種痘の話を祖母から子供の頃聞いていました。最近遺品を整理していて、難破時の状況等を記述した曾祖父の記録があり、本当のことだったのか調べたところ『ヴィクトリア銘洋鐘』の記述をネットで発見したのですが、それには「第二長崎丸」となっていました。どうなんでしょうか？</p>
]]></content:encoded>
		
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		<title>
		鳥海十四蔵 より		</title>
		<link>https://www.jp-history.info/end-of-edo-period/2373.html#comment-1108</link>

		<dc:creator><![CDATA[鳥海十四蔵]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 11 May 2018 19:25:32 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[「同型艦」は誤り。長崎奉行所が購入した「長崎丸」名の蒸気船は三隻であるが、すべて異なる船体である。
「第一長崎丸」原名Victoriaは1851年イギリスのグラスゴー郊外で建造、オーストラリアのシドニーを拠点に就航、その後改修を経て1863（文久三）年に「長崎丸」、原名Sir Charles Forbesと共に長崎奉行所に売却された。沈没した第一長崎丸から引き揚げられた船鐘が八丈島南部の大御堂に残されている。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「同型艦」は誤り。長崎奉行所が購入した「長崎丸」名の蒸気船は三隻であるが、すべて異なる船体である。<br />
「第一長崎丸」原名Victoriaは1851年イギリスのグラスゴー郊外で建造、オーストラリアのシドニーを拠点に就航、その後改修を経て1863（文久三）年に「長崎丸」、原名Sir Charles Forbesと共に長崎奉行所に売却された。沈没した第一長崎丸から引き揚げられた船鐘が八丈島南部の大御堂に残されている。</p>
]]></content:encoded>
		
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		<title>
		鳥海十四蔵 より		</title>
		<link>https://www.jp-history.info/end-of-edo-period/2373.html#comment-1107</link>

		<dc:creator><![CDATA[鳥海十四蔵]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 11 May 2018 19:17:36 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://www.jp-history.info/?p=2373#comment-1107</guid>

					<description><![CDATA[「同型艦」は誤り。長崎奉行所が購入した「長崎丸」名の蒸気船は三隻であるが、すべて異なる船体である。「第一長崎丸」は1851年イギリスのグラスゴー郊外で建造され、オーストラリアのシドニーを拠点に就航。その後改修を受けて文久三（1863）年に同名船「長崎丸」、原名Sir Charles Forbesと共に日本に転売されたもの。八丈島に沈没後引き上げられた船鐘が残されている。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「同型艦」は誤り。長崎奉行所が購入した「長崎丸」名の蒸気船は三隻であるが、すべて異なる船体である。「第一長崎丸」は1851年イギリスのグラスゴー郊外で建造され、オーストラリアのシドニーを拠点に就航。その後改修を受けて文久三（1863）年に同名船「長崎丸」、原名Sir Charles Forbesと共に日本に転売されたもの。八丈島に沈没後引き上げられた船鐘が残されている。</p>
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