岩崎城:小牧・長久手の戦いで徳川方として奮戦した丹羽氏次の居城 岩崎城【お城特集 日本の歴史】

岩崎城/アクセス・場所・地図 小牧・長久手の戦いで徳川方として奮戦した丹羽氏次の居城 岩崎城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
岩崎城

【岩崎城の説明】
岩崎城は愛知県日進市岩崎町に存在した戦国時代の平山城である。築城時期は不明だが戦国時代初期に尾張の織田信秀(信長の父)の居城「勝幡城」の支城となっていたようだ。

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享禄2年(1529年)、三河国岡崎城主「松平清康(徳川家康の祖父)」が織田信秀に属する「荒川頼宗」の岩崎城を攻めて落城させた。しかし、清康は「守山崩れ」と呼ばれる家臣による暗殺で死去し三河勢は尾張から兵を引いた。

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この間、松平家に属していた「丹羽氏清」が岩崎城へ移り住み、その後は「織田信長」に仕えて戦国時代を生き抜くことになる。天正12年(1584年)に起きた「小牧・長久手の戦い」では当主「丹羽氏次」が徳川家康方として戦に参加し、豊臣秀吉分隊が内々に三河へ侵攻するのを城に籠って防戦した。

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しかし、多勢に無勢であえなく城は落城し、氏次は弟の氏重を失ったが秀吉軍を疲弊させた功績は大きかった。その後も数々の戦功をあげて家康からの信任も厚かったという。

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慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは「丹羽氏次」は徳川方の東軍として参戦し、その功績を認められ三河国伊保を1万石を拝領し大名として栄転した。この時「岩崎城」は廃城となったと言われている。

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現在の岩崎城跡には模擬天守が建立されている他、辺り一帯は「岩崎城址公園」として整備されている。城の遺構としては曲輪・空堀・土塁・土橋・建造物跡・井戸跡などが残されている。






【岩崎城・場所・アクセス】
〒470-0131 愛知県日進市岩崎町市場48

【岩崎城地図】



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