造海城:里見義堯が治めた重要な水軍の拠点 造海城【お城特集 日本の歴史】

造海城/アクセス・場所・地図 里見義堯が治めた重要な水軍の拠点 造海城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
造海城

【造海城の説明】
造海城は千葉県富津市竹岡にあった内房に面した海城である。
寛正2年(1461年)に「真里谷信興」により築城されたと伝えられているが詳細は不明である。

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天文2年(1533年)に里見義豊が伯父である「里見実堯」を突如襲い討ち取ったことで実堯の子「義堯」は造海城に立て篭もり「北条氏綱」に援助を求めた。

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これに応じた氏綱の助けもあり義豊を討ち取った義堯は里見家の当主となった。天文6年(1537年)には真里谷氏に内紛がおこり小弓公方「足利義明」を頼る「真里谷信応」と、北条氏綱を頼る「信隆」との間で激しい家督争いが勃発した。

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この頃の義堯は北条氏と手を切っており、小弓公方の足利氏と行動を共にしていた。この関係上「造海城」に籠る信隆を攻撃し北条氏の支配する三浦半島へと追いやった。

その後、第一次国府台合戦(足利義明と北条氏綱との戦い)で小弓公方が敗死すると、この戦に参加していた里見勢も撤退を余儀なくされ「造海城」は一時期北条氏に占拠された。

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永禄10年(1567年)の「三船台合戦」で再び里見氏が北条勢を破ると、造海城は里見氏の水軍基地となり重要な役割を果たすことになる。天正18年(1590年)、豊臣秀吉による「小田原征伐」で里見氏が安房一国に減封されると「造海城」は廃城となった。

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幕末には海上防備のために城跡に砲台が設けられ今でもその遺構が残っている。戦国時代の遺構としては石垣や空堀や土塁、及び井戸などが残されている。






【造海城・場所・アクセス】
〒299-1621 千葉県富津市竹岡4452

【造海城地図】



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