膳城:上杉謙信・北条氏政・武田勝頼の争いの場となった膳氏の居城 膳城【お城特集 日本の歴史】

膳城/アクセス・場所・地図 上杉謙信・北条氏政・武田勝頼の争いの場となった膳氏の居城 膳城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
膳城

【膳城の説明】
膳城は群馬県前橋市粕川町膳にあった丘城の城である。
三善康信の子孫という善氏により築城され、その時期は不明だが長享元年(1487年)には既に存在していた。

文明12年(1480年)、佐野昌綱の攻撃を受けて一度は落城するも、「横瀬業繁」の援助を受けて「善三河守」は膳城に復帰、以後、横瀬氏改め「由良氏」の支配下に入った。

元亀3年(1572年)には上杉謙信に従い、下野国へ侵攻中に城主「善宗次」が討死してしまう。その子「春松丸」が跡を継ぐが、北条氏の反撃を受けて厩橋城へ逃亡し膳氏は没落した。

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天正2年(1574年)、上杉謙信が膳城を奪い返し「木戸忠朝」が入城するも、天正6年(1578年)上杉謙信の死去によって再び北条氏の城となり、「河田備前守」が城主となる。

天正8年(1580年)、謙信の後継者争い「御館の乱」が勃発すると武田勝頼は「上杉景勝」に味方をして、「上杉景虎」派の厩橋城や大胡城、山上城、伊勢崎城を制圧していった。この時、膳城も勝頼の軍勢から攻撃を受け「河田備前守」や城代の「大胡民部左衛門」が討たれて落城し、城は廃城となった。

現在の城跡は住宅地となっており、空堀、土塁、土橋がわずかに残る他、城址公園として整備されている。






【膳城・場所・アクセス】
〒371-0204 群馬県前橋市粕川町膳109

【膳城地図】



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