海部城:長宗我部元親の弟島親益を殺害した海部友光の居城 海部城 【お城特集 日本の歴史】

海部城/アクセス・場所・地図 長宗我部元親の弟島親益を殺害した海部友光の居城 海部城 【お城特集 日本の歴史】

【城名】
海部城

【海部城の説明】
海部城は徳島県海部郡海陽町にあった平山城である。永禄年間に「海部友光」によって築かれたと伝わる。

元亀2年(1571年)、長宗我部元親の弟である「島親益」が病気養生のため有馬温泉へ向かう途中、海が荒れて暴風となった。この強風を避けるため海部城下の湾に停泊したところ、当時の海部城主であった「海部友光」は親益の船を襲って親益を殺してしまう。

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当時海部氏は阿波・讃岐を支配していた三好氏に従っており、長宗我部氏の攻撃と誤認したとも言われている。ともあれ、元親の怒りは激しくこれを機に阿波国への侵攻を開始する。

天正5年(1577年)、元親はついに悲願の海部城攻略に成功する。そして自身の弟であり重臣でもある「香宗我部親泰」を城主に据え、阿波制圧の拠点とした。しかし、親泰はほどなくして「牛岐城」へと拠点を移している。

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天正13年(1585年)、豊臣秀吉の四国征伐によって長宗我部元親は土佐一国を安堵され阿波国は「蜂須賀家政」に与えられた。蜂須賀家では代々海部城へ城代を配置し、海部地方を支配した。

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江戸時代に入ると「一国一城令」が定められ海部城は廃城となり、代わって海部陣屋が近くに置かれた。現在、海部城跡の遺構は曲輪や土塁の跡が残るのみとなっている。






【海部城・場所・アクセス】
徳島県海部郡海陽町鞆浦

【海部城地図】



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