高田城:徳川家康の六男松平忠輝(義父は伊達政宗)の居城 越後高田城【お城特集 日本の歴史】

高田城:徳川家康の六男松平忠輝(義父は伊達政宗)の居城 越後高田城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
高田城

【高田城の説明】
新潟県上越市にある高田城は徳川家康の六男「松平忠輝」の居城であった。越後はもともと上杉謙信の領地であり、その後の統治や加賀100万石の前田家への抑えの意味もあり徳川一族である「忠輝」が配された。

高田城:徳川家康の六男松平忠輝(義父は伊達政宗)の居城 越後高田城【お城特集 日本の歴史】

ちなみに「忠輝」の義父は独眼竜で有名な伊達政宗である。高田藩75万石を領する大大名になった「忠輝」であったが父・徳川家康や2代将軍となる兄の徳川秀忠からは疎まれていたようである。

このことから大坂の陣では遅参したり、兄である嫡男秀忠の旗本といざこざを起こし惨殺してしまったりした。様々な要因が重なったこともあり、家康の死後2代将軍秀忠によって改易されてりまう。その後の高田藩には譜代大名の「酒井氏」「松平氏」「稲葉氏」「戸田氏」「榊原氏」と目まぐるしく城主が変わった。

高田城:徳川家康の六男松平忠輝(義父は伊達政宗)の居城 越後高田城【お城特集 日本の歴史】

最終的には「榊原氏」の統治時代に戊辰戦争が勃発し、城下に迫ってきた新政府軍を相手に譜代大名である高田藩は恭順する。これを不満とした一部の藩士は脱藩し、奥羽戦線に加わることになる。一方高田城は近くを流れる川を天然の堀とし、石垣は用いず専ら土塁を用いて築城された。

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典型的な平城で本丸・二の丸・三の丸・北の丸からなる城であった。天守はなく三重三階の三重櫓を天守として代用していた。明治に入ると全国に廃城令が発令され、高田城も破却された。現在の高田城は明治初期に消失してしまった三重櫓(代用天守)が復元されており、城跡公園として整備されている。

【高田城・場所・アクセス】
〒943-0835 新潟県上越市本城町6-1






【高田城地図】





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