久居藩(津藩支藩)/藤堂家5万8千700石:藤堂高邦 本藩に従い新政府軍に恭順した久居藩【幕末維新写真館】

久居藩(津藩支藩)/場所・アクセス・地図 藤堂家5万8千700石:藤堂高邦 本藩に従い新政府軍に恭順した久居藩【幕末維新写真館】

【藩名】
久居藩(津藩支藩)

【説明】
寛文9年(1669年)、津藩の第2代藩主「藤堂高次」が隠居して家督を子の「藤堂高久」に譲ったとき、次男の「藤堂高通」に5万石を分与して津藩の支藩である久居藩を立藩した。築城は幕府より許可されず久居陣屋と城下町を建設するに留まった。

幕末期は本家の津藩と共に天誅組討伐に参加した。その後も本藩と行動を共にし、新政府軍へ協力した。明治2年(1869年)、第16代藩主「藤堂高邦」は版籍奉還により藩知事となり、明治4年(1871年)の「廃藩置県」で久居藩は廃藩となる。その後久居県、安濃津県を経て翌年には三重県に編入された。

【場所・アクセス・地図】






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