弁天台場跡:新政府軍からの函館湾防衛に用いられた旧幕府軍の弁天台場【史跡 日本の歴史】

弁天台場跡:新政府軍から函館湾防衛のために建造された弁天台場【史跡 日本の歴史】

【史跡名】
弁天台場跡

【説明】
弁天台場は箱館港の防衛拠点として1863年(文久3年)に完成した砲台である。
洋式城郭五稜郭を手掛けた「武田斐三郎」の設計により、徳川幕府が約8年の歳月をかけて建造した。
当初の目的は外国船襲来を防ぐためのものためだったが、皮肉にも実戦に使用されたのは戊辰戦争末期の内戦においてだった。

箱館戦争時、旧幕府軍の重要拠点とされ新選組の生き残りも主力として立てこもったが、新政府軍の攻撃で五稜郭降伏前に降伏。台場は1896年(明治29)に解体され、今はその痕跡も残っていない。

弁天台場跡:新政府軍からの函館湾防衛に用いられた旧幕府軍の弁天台場

弁天台場跡:新政府軍からの函館湾防衛に用いられた旧幕府軍の弁天台場

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【弁天台場跡・アクセス・場所・地図】
北海道函館市弁天町20






【弁天台場跡地図】



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