佐土原城:島津豊久の城で幕末には会津・函館まで果敢に戦った佐土原藩の藩庁 佐土原城【お城特集 日本の歴史】

佐土原城/アクセス・場所・地図 島津豊久の城で幕末には会津・函館まで果敢に戦った佐土原藩の藩庁 佐土原城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
佐土原城

【佐土原城の説明】
佐土原城は現在の宮崎県宮崎市佐土原町上田島にあった城で佐土原藩の居城(藩庁)であった。伊東氏の一族「田島休助」がこの地に田島城を築城したことが始まりと言われている。

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戦国時代初期、日向の国で力をつけてきた伊東氏が田島氏を攻撃し田島城を奪っている。田島城は伊東市の一族である「伊東祐賀」が城主となり「佐土原氏」を称する。

1480年には伊東氏本家から「伊東祐国」が佐土原氏の養子に入りその支配権をさらに強める。薩摩の島津義久が領土を広げるべく北上してくると、「高城の戦い」で敗れた佐土原氏はこの地を追われ義久の弟「島津家久」が城主となる。

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1587年、豊臣秀吉が天下を統一し九州に侵攻してくると島津義久・義弘兄弟は果敢に戦うがついに降伏し薩摩・大隅と日向国の一部のみ支配を許される。秀吉の島津征伐の際、佐土原城主だった「家久」は突然急死してしまいその後を「島津豊久」が継ぐことになる。慶長5年(1600年)、「関ヶ原の戦い」で島津家は西軍に参加し豊久は戦死してしまう。

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島津氏は徹底抗戦と和議の両方を画策し、ついに家康の許しを得ることに成功する。しばらくの間、佐土原城は家康の家臣「庄田三太夫」が一時的に預かるという形になったが、1603年に「島津以久」が3万石にて城主に任命され、以後明治までこの地を領した。

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明治維新の際は、薩摩藩と共に佐土原藩士も「鳥羽伏見の戦い」から「会津戦争」、函館戦争まで従軍した。なお佐土原城は「廃藩置県」の際に廃城となり取り壊された。






【佐土原城・場所・アクセス】
〒880-1302 宮崎県東諸県郡綾町北俣1012

【佐土原城地図】



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