長久保城:武田勝頼の滅亡後に徳川家康の支配下に置かれた長久保城【お城特集 日本の歴史】

長久保城/アクセス・場所・地図 武田勝頼の滅亡後に徳川家康の支配下に置かれた長久保城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
長久保城

【長久保城の説明】
長久保城は静岡県駿東郡長泉町下長窪にあった山城である。
築城時期は不明だが、大友親頼の三男親政が永享11年(1429年)、駿河国駿東郡長久保を領すると長久保氏と称し城を築いたと伝えられている。

長久保城/アクセス・場所・地図 武田勝頼の滅亡後に徳川家康の支配下に置かれた長久保城【お城特集 日本の歴史】

そして、長久保氏は駿河国主である今川氏に仕えた。戦国時代に入ると武田・北条・今川の3者間で争いが絶えず、天正10年(1582年)、武田氏が滅亡すると「徳川家康」の持城となった。その後、家康が関東に移封されると「中村一氏」の持城となるが、慶長5年(1600年)に一氏も移封となり「長久保城」は廃城となった。

長久保城/アクセス・場所・地図 武田勝頼の滅亡後に徳川家康の支配下に置かれた長久保城【お城特集 日本の歴史】

現在、本丸跡は消滅し城山神社境内の土塁と、北小学校の周辺に三ノ丸の遺構が残っている。

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【長久保城・場所・アクセス】
〒411-0934 静岡県駿東郡長泉町下長窪1074

【長久保城地図】



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