菩提山城:羽柴秀吉の軍師竹中半兵衛(竹中重治)の居城 菩提山城【お城特集 日本の歴史】

菩提山城/アクセス・場所・地図 羽柴秀吉の軍師竹中半兵衛(竹中重治)の居城 菩提山城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
菩提山城

【菩提山城の説明】
菩提山城は岐阜県不破郡垂井町の菩提山にあった山城である。
竹中半兵衛(竹中重治)の父、重元が「岩手弾正」を滅ぼして新たに菩提山城を築城したと伝わる。

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竹中氏は美濃国主の斎藤家に従属しており、道三、義龍、竜興の3代に渡り仕えた。永禄7年(1565年)、竹中半兵衛は主君である竜興をわずか16名の家臣とともに稲葉山城から追い落とすことに成功している。

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しかし、その後竜興の詫びを受け入れて城を返したと言われている。その後はしばらく隠棲していたが、織田信長の家臣「羽柴秀吉」に請われて秀吉の家臣となり、以来秀吉を支え続けた。

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主君秀吉が中国地方司令官に任命され播磨・備前、そして安芸の毛利家との戦いを繰り広げる中、天正7年(1579年)播磨三木城攻めの陣中で半兵衛は病没してしまう。家督は嫡男の「重門」が継ぎ菩提山城主となる。

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慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで東軍に属した重門は「徳川家康」に菩提山城を提供し、戦後は麓に「竹中氏陣屋」を築き居を移した為「菩提山城」は廃城となった。現在、城の遺構として本曲輪、堀切、土塁などが残されている。

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【菩提山城・場所・アクセス】
〒492-0000 愛知県稲沢市平和町城之内105

【菩提山城地図】



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