西尾城:桶狭間の戦い後に徳川家康が攻め取り幕末まで譜代大名が支配した西尾城【お城特集 日本の歴史】

西尾城/アクセス・場所・地図 桶狭間の戦い後に徳川家康が攻め取り幕末まで譜代大名が支配した西尾城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
西尾城

【西尾城の説明】
西尾城は現在の愛知県西尾市錦城町にあった平山城である。
築城時期は不明だが鎌倉時代初期に吉良氏の祖である足利義氏が築城した「西条城」が西尾城の始まりとされている。

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戦国時代に入ると今川氏の支配する城となったが「桶狭間の戦い」で今川義元が戦死すると「徳川家康」が攻め取り城代に「酒井正親」を配置した。その後、天正13年(1585年)正親の次男「酒井重忠」によって城の大改修が行われ天守、石塁、堀、櫓門などが増築された。

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天正18年(1590年)、豊臣秀吉の「北条征伐」により家康が関東へ移封されると西尾城は岡崎城主の「田中吉政」が支配する城となる。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで名実ともに天下人となった徳川家康は、翌、慶長6年(1601年)西尾城に「本多康俊」を2万石で入封させ初代西尾藩主とした。

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以降、 寛永15年(1638年)に「太田資宗」が3万5千石で入封するのを皮切りに、井伊直好、増山氏、土井氏、三浦氏と続き明和元年(1764年)、出羽国山形藩から「松平乗祐」が転封となり「松平乗秩」の時代に幕末を迎えている。

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現在の西尾城は「西尾市立歴史公園」として整備され、二ノ丸鍮石門や本丸と二ノ丸の土塁や堀などが復元されている。

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【西尾城・場所・アクセス】
〒445-0864 愛知県西尾市錦城町327

【西尾城地図】



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