小見川城:秀吉の北条征伐で共に滅びた粟飯原氏の居城 小見川城【お城特集 日本の歴史】

小見川城/アクセス・場所・地図 秀吉の北条征伐で共に滅びた粟飯原氏の居城 小見川城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
小見川城

【小見川城の説明】
小見川城は現在の千葉県香取市小見川町(小見川公園)にあった平山城である。
築城時期は不明だが建久年間に千葉氏の一族の「粟飯原朝秀」により築城されたと伝わっている。

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永禄3年(1560年)、里見義堯の重臣「正木時忠」が下総国へ侵攻し小見川城も攻撃された。この時は正木軍の攻撃を撃退したようである。その後も戦国期を通して粟飯原氏がこの城を統治したが、天正18年(1590年)豊臣秀吉による北条征伐が勃発すると「粟飯原俊胤」は北条方として戦った。

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このため、北条氏の滅亡と共に粟飯原氏も滅びた。北条氏の遺領を拝領した「徳川家康」は当初「松平家忠」を城主に任命したが慶長6年(1601年)に廃城となった。

その後「土井利勝」が1万石を拝領し小見川城近くの平地に「小見川陣屋」を構築し小見川藩庁とした。正式な小見川藩の誕生である。その後も安藤氏・天領・内田氏と統治が変わり内田氏の時代に幕末を迎えている。

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現在の小見川城跡は「小見川公園」として整備されており、土塁が巡る曲輪や土橋が架かる空堀などが残されている。






【小見川城・場所・アクセス】
千葉県香取市小見川町(小見川公園)

【小見川城地図】



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