七戸城:九戸政実の乱で滅びた七戸家国の居城 七戸城【お城特集 日本の歴史】

七戸城/アクセス・場所・地図 九戸政実の乱で滅びた七戸家国の居城 七戸城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
七戸城

【七戸城の説明】
七戸城は青森県上北郡七戸町にあった平山城である。
南部氏初代「南部光行」の四男「朝清」が七戸地方へ移り七戸氏を名乗ったと伝えられている。

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城としての築城は南北朝時代の「南部政長」により築城されたとする説と、室町時代に「南部政光」が築城したとされる説がある。戦国時代末期の天正19年(1591年)、七戸城主「七戸家国」は「九戸政実の乱」で政実方につき九戸城に籠城し九戸氏と共に滅亡した。

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その後七戸領は「南部信義」の三男「南部直勝」に与えられ、七戸氏を継がせ南部藩の家老職として遇された。元禄7年(1694年)、七戸政信は盛岡藩5代藩主「南部行信」より5千石を分与され南部藩とは別家を立て、ここに七戸藩が立藩される。

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文政2年(1819年)には七戸藩は6千石を加増され、都合1万1千石の大名に列することになる。幕末の「戊辰戦争」では本藩に従い「奥羽越列藩同盟」に参加するが新政府軍に惨敗し藩主「南部信民」は「信方」に当主の座を譲り隠居する。

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現在の七戸城跡は「柏葉公園」として整備されており、城の遺構としては水堀や土塁、復元された東門などが存在する。

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【七戸城・場所・アクセス】
〒039-2525 青森県上北郡七戸町城ノ後

【七戸城地図】



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