牛岐城:長宗我部元親が新開実綱を謀殺して弟の親泰を配置し阿波制圧の拠点とした牛岐城 【お城特集 日本の歴史】

牛岐城/アクセス・場所・地図 長宗我部元親が新開実綱を謀殺して弟の親泰を配置し阿波制圧の拠点とした牛岐城 【お城特集 日本の歴史】

【城名】
牛岐城

【牛岐城の説明】
牛岐城は徳島県阿南市富岡町殿町にあった平山城である。築城年代は定かではないが、至徳年間に阿波国守護の細川氏に従属していた「新開実重」が築城したと伝わっている。

戦国時代に入り、阿波守護の細川家の力が衰え、代わって「三好長慶」が勢力を拡大していった。新開氏も三好家に従っていたと思われる。天正3年(1575年)、土佐の「長宗我部元親」が阿波への侵攻を開始し海部城や他の城々を次々と落としていった。

牛岐城/アクセス・場所・地図 長宗我部元親が新開実綱を謀殺して弟の親泰を配置し阿波制圧の拠点とした牛岐城 【お城特集 日本の歴史】

天正8年(1580年)になると「牛岐城」にも元親の軍勢が侵攻し、時の城主の「新開実綱(新開道善)」降伏・開城した。しかし、元親は実綱を謀殺してしまい、海部城から「香宗我部親泰」を牛岐城へ移して阿波制圧の前線とした。

牛岐城/アクセス・場所・地図 長宗我部元親が新開実綱を謀殺して弟の親泰を配置し阿波制圧の拠点とした牛岐城 【お城特集 日本の歴史】

天正13年(1585年)、豊臣秀吉による四国征伐の軍が侵攻し圧倒的な強さを発揮しながら瞬く間に長宗我部家の城を落としていった。これを見て「牛岐城」の香宗我部親泰も土佐へと退いた。

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この四国征伐の功績により「蜂須賀家政」が阿波国を与えられ、牛岐城は家老である「賀島主水正政慶」に1万石を与え城代とした。政慶は入城後に牛岐の地を富岡と改名したため、牛岐城も「富岡城」と呼ばれるようになった。

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江戸時代に入り、寛永15年(1638年)に一国一城令が発令されると「牛岐城」は廃城となった。現在の牛岐城跡には、城山に展望台を設け「牛岐城址公園」として整備されている。なお、城の遺構はあまり残されていない。






【牛岐城・場所・アクセス】
〒774-0030 徳島県阿南市富岡町トノ町24-21

【牛岐城地図】



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