秋月城(古処山城):秀吉の九州平定により廃城とされ 戦後黒田長興が5万石で陣屋を構えた秋月城【お城特集 日本の歴史】

秋月城(古処山城)/アクセス・場所・地図 秀吉の九州平定により廃城とされ 戦後黒田長興が5万石で陣屋を構えた秋月城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
秋月城(古処山城)

【秋月城(古処山城)の説明】
秋月城(古処山城)は福岡県朝倉市野鳥にあった秋月氏の城である。建仁3年(1203年)、秋月種雄が「古処山城」を築城したことに始まり古処山城の麓に造られたのが秋月氏の館(秋月城)である。

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平時は館で過ごし、いざ戦になると山頂の古処山城へ籠って戦ったと考えられる。1557年(弘治3年)、古処山城は「大友宗麟」の猛攻により陥落し、城主「秋月文種」は自害し、次男「秋月種実」は毛利元就のもとへ落ち延びた。

その後は、宗麟の居城となっていたが「秋月種実」は城を取り戻し、徐々に勢力を拡大し36万石を領する大名となり秋月氏の最盛期を迎える。天正14年(1586年)、豊臣秀吉による九州制圧戦が始まると当時「島津氏」に従っていた種実は徹底抗戦を試みる。

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しかし、圧倒的な軍事力の豊臣軍の前に歯が立たず、秘蔵の名器と娘を人質として秀吉へ差し出し全面降伏した。種実は助命されたが大幅に減封され「高鍋城」3万石だけを与えられた。なお、古処山城はこの戦の後に廃城にされている。

同時に古処山城の山麓の「秋月城」も廃城とされていたが、寛永元年(1624年)、福岡藩主「黒田長政」の三男「黒田長興」が2代藩主「忠之」より5万石を分封され、秀吉の九州征伐以降廃城となっていた「秋月城」を大幅に改修し「秋月陣屋」を築いた。

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以後、黒田氏が12代にわたり明治維新までこの地を治めた。なお、秋月城跡は県の史跡に指定されており、長屋門・大手門・石垣・堀などの遺構が残っている。



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筑前戦国史 秋月城主 秋月種実(吉永正春)







【秋月城(古処山城)・場所・アクセス】
〒838-0011 福岡県朝倉市秋月野鳥

【秋月城(古処山城)地図】



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