杵築城:大友義統の家臣木付統直が大友家改易とともに自刃して果てた杵築城【お城特集 日本の歴史】

杵築城/アクセス・場所・地図 大友義統の家臣木付統直が大友家改易とともに自刃して果てた杵築城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
杵築城

【杵築城の説明】
杵築城は明徳4年(1393年)に「木付頼直」により築かれたと伝えられている。八坂川の河口にある台山の上に築かれた天然の要害で、木付氏は代々大友氏の臣下であった。

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戦国時代後期には九州統一を目指す島津義久・義弘兄弟が薩摩・大隅国から北上を続け、ついに大友氏の領地にまで攻め込んできた。杵築城主「木付統直」は籠城戦の末、この城を守り通している。

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そのうち豊臣秀吉の九州征伐軍が到着し、大友氏は滅亡を免れた。文禄元年(1592年)秀吉が朝鮮出兵の軍(文禄の役)を起こすと、大友宗麟の後を継いだ「義統」は敵前逃亡の罪で幽閉され豊後一国を没収された。木付統直は主君の失態を見て、自刃して果てたため木付氏は滅亡してしまう。

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その後、「前田玄以」「宮部継潤」「杉原長房」と城主が変わり、慶長4年(1599年)には「細川忠興」の所領となり、重臣の松井康之が城代として配置された。

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寛永9年(1632年)、忠興の子「忠利」が熊本藩へ移封されると、小笠原忠知が城主として入封した。その後、正保2年(1646年)には「松平英親」が豊後高田藩より3万2千石で封じられ、その後明治維新までこの地を治めた。

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現在の城跡は、城山公園として整備され山上の天守台跡に博物館と展望台を兼ねた模擬天守が建てられている。

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【杵築城・場所・アクセス】
〒873-0001 大分県杵築市杵築城山16−1

【杵築城地図】



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