小弓城:足利義明が原氏を追い出し城を奪取し小弓公方と称した小弓城【お城特集 日本の歴史】

小弓城/アクセス・場所・地図 足利義明が原氏を追い出し城を奪取し小弓公方と称した小弓城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
小弓城

【小弓城の説明】
小弓城(生実城)は千葉県千葉市中央区にあった平城である。
鎌倉時代の初期に下総原氏によって築城されたと伝わる。

小弓城/アクセス・場所・地図 足利義明が原氏を追い出し城を奪取し小弓公方と称した小弓城【お城特集 日本の歴史】

戦国時代に入ると「足利義明」が下総の真里谷信清の支援を受けて、千葉氏の家臣で同国小弓城主「原胤隆・虎胤」を破って「小弓城」を占拠した。そして古河公方に対抗して「小弓公方」を称することになる。

足利義明は関東の制圧を目論み次第に勢力を拡大していく。そして天文7年(1538年)、里見義堯・真里谷信応らの軍勢1万を引き連れて国府台城へ入り、同じく関東の制圧を目論む北条氏綱・氏康親子と対峙した。この時、千葉氏・原氏は北条氏方へ寝返っている。

小弓城/アクセス・場所・地図 足利義明が原氏を追い出し城を奪取し小弓公方と称した小弓城【お城特集 日本の歴史】

この戦は初戦こそ小弓軍が優勢であったが、数で勝る北条勢に次第に押され、義明の弟「基頼」や息子「義純」が討ち死し、この報を聞くや逆上して北条軍へ突撃し義明自身も討ち死にしてしまった。

これを知った里見義堯・真里谷信応らも急いで退却した。勢いに乗った北条軍は「小弓城」を落とし、続いて「真里谷城」を攻撃し、真里谷信応を降伏させて北条氏に心を寄せている「真里谷信隆」を真里谷氏当主にした。

小弓城/アクセス・場所・地図 足利義明が原氏を追い出し城を奪取し小弓公方と称した小弓城【お城特集 日本の歴史】

小弓城は北条方の千葉氏家臣「原氏」が再び城主となった。これを機会に原氏は小弓城を廃城とし、小弓城の北に新城を築き「生実城」と名付けた。しかし、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の北条征伐が行われると北条方についていた千葉氏・原氏は豊臣軍に攻められ滅亡した。

徳川家康が天下を統一すると原氏が築城した「生実城」は生実藩の陣屋として活用された。現在小弓城の遺構はほとんど残されておらずわずかに土塁が残るのみである。






【小弓城・場所・アクセス】
〒260-0814 千葉県千葉市中央区南生実町

【小弓城地図】



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