羽衣石城:毛利元就と激しく争い伯耆国で勢力を誇った南条宗勝の居城 羽衣石城【お城特集 日本の歴史】

羽衣石城/アクセス・場所・地図 毛利元就と激しく争い伯耆国で勢力を誇った南条宗勝の居城 羽衣石城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
羽衣石城

【羽衣石城の説明】
羽衣石城は鳥取県東伯郡湯梨浜町にあった山城である。
貞治5年(1366年)に「南条貞宗」が築城したと伝えられている。

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戦国時代に入ると尼子氏が伯耆国へ進出し、南條氏の「羽衣石城」もその攻撃を受けて降伏・開城している。天文9年(1540年)、尼子晴久が毛利元就の郡山城を攻撃すると南條氏はこの戦に参加している。

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天文12年(1543年)には「大内義隆」の月山富田城(尼子氏の本城)の攻撃に「南条宗勝」が加わり、義隆の先導役を務めている。その後、徐々に力をつけてきた「毛利元就」に臣従した宗勝は元就の支援を得て、永禄5年(1562年)尼子氏により奪われていた伯耆の旧領を回復した。

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天正3年(1575年)秋、南条宗勝が急死すると家督は嫡子「元続」が継ぎ、次第に織田家に接近するようになる。毛利氏から離反した南條氏は、天正8年(1580年)から毛利家の吉川軍と交戦状態にはいる。その一方で織田家の中国地方担当官である「羽柴秀吉」の鳥取城攻めに合力したりしている。

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天正12年(1584年)、織田信長が横死したあとに「羽柴秀吉」と「毛利輝元」による和睦が成立し、南条氏は八橋城を除く東伯耆3郡を与えられた。しかし、その後も八橋城の奪還を諦めずついに旧領全ての回復に成功する。

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天正19年(1591年)、南條元続が死去すると幼い「元忠」が家督を継承した。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで西軍に属した「南条元忠」は西軍の敗北により所領没収の上、羽衣石城は廃城、南條氏は改易された。

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慶長19年(1614年)、元忠は「大坂冬の陣」に際し多くの一族旧臣とともに大坂城へ入り戦ったが、徳川方の「藤堂高虎」と内通していたことが発覚して大坂城内にて切腹。これで南條氏の大名復帰は完全に断たれることになる。

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現在の城跡には羽衣石城「模擬天守」が建てられており、石垣などが残されている。






【羽衣石城・場所・アクセス】
〒689-0733 鳥取県東伯郡湯梨浜町羽衣石

【羽衣石城地図】



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