臼杵城(丹生島城):大友宗麟が大分府内城より本城を移した要害 臼杵城【お城特集 日本の歴史】

臼杵城(丹生島城)/アクセス・場所・地図 大友宗麟が大分府内城より本城を移した要害 臼杵城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
臼杵城(丹生島城)

【臼杵城(丹生島城)の説明】
臼杵城は大分県臼杵市にあった平山城である。
戦国時代に「大友宗麟」により臼杵城の基礎となる「丹生島城」が築かれのが始まりとされている。

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永禄4年(1561年)、毛利氏との戦いに敗れた「大友義鎮(大友宗麟)」は、翌永禄5年(1562年)に臼杵湾に浮かぶ丹生島に新城を築き大分府内城から移ったとされている。

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その後、家臣「田原親貫」の反乱鎮圧のため天正7年(1579年)から数年ほど大分府内城へ本拠を移してるが、これは一時的な措置と考えられている。

天正14年(1586年)、島津義久・義弘兄弟が九州統一の野望を抱き北上すると、「国崩し」と呼ばれる大砲を動員するなどして島津軍を退けたが(丹生島城の戦い)、城も城下街も大きく損失した。宗麟はその後、天下を掌握しつつある「豊臣秀吉」に直に会いに行き、支援を乞うた。

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そして秀吉からの支援の約束を取り付けると翌年、死去した。宗麟亡き後は嫡男「義統」が大友家と継ぎ秀吉に従った。しかし、文禄・慶長の役にて敵前逃亡の咎を受けて改易処分となり名門大友家は滅亡する。

臼杵城には「石田三成」の妹婿である「福原直高」が城主となり、慶長2年(1597年)には「太田一吉」が入城して、城下の復興や城の近世城郭化が行われた。

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慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが終わると美濃国郡上八幡より「稲葉貞通」が5万石で入封、その子「典通」と2代にわたって城の改修を行い現在のような城郭となった。以降、明治維新まで稲葉氏が15代にわたりこの城を治めた。

当時の丹生島は3方を海に囲まれ一方のみが潮の満ち引きにより陸地と繋がる天然の要害をなしていた。現在は「臼杵公園」として整備されている。






【臼杵城(丹生島城)・場所・アクセス】
〒875-0041 大分県臼杵市臼杵

【臼杵城(丹生島城)地図】



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