庁南城:武田信長が上総統治のため真里谷城と共に築いた庁南城【お城特集 日本の歴史】

庁南城/アクセス・場所・地図 武田信長が上総統治のため真里谷城と共に築いた庁南城【お城特集 日本の歴史】

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【城名】
庁南城

【庁南城の説明】
庁南城は千葉県長生郡長南町にあった平山城である。
康正2年(1456年)、上総守護の「上杉政憲」に対抗する古河公方「足利成氏」の命を受けて「武田信長」が「庁南城」と近隣に「真里谷城」を築いたのが始まりとされている。

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真里谷城には嫡男の信高を置き、自らは庁南城に入り以降五代にわたってこの地を治めた。真里谷城の武田氏はその後「真里谷氏」と称し、安房を統一した「里見義堯」の北上に対抗するため相模の「北条氏康」を頼った。

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4代目当主「真里谷信隆」の代に異母弟の「真里谷信応」との間で家督争いが勃発し、真里谷氏は次第に勢力を弱め、相模の北条氏と安房の里見氏との勢力争いに巻き込まれていくことになる。

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その間、庁南城の武田氏の動向は文献がほとんど残されておらず、不明となっている。一時期は安房の里見義堯・義弘親子の攻撃により里見氏に降った真里谷氏だったが、永禄7年(1564年)の第二次国府台合戦で里見氏が北条氏に敗れると真里谷氏は再び北条氏へ臣従した。

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天正18年(1590年)、豊臣秀吉による「小田原征伐」が勃発すると北条氏へ臣従していた真里谷氏当主「武田豊信(真里谷豊信)」は去就を明確にせず、このため豊臣方の徳川家康家臣「本多忠勝」や秀吉の直臣「浅野長政」に城を攻められ「真里谷城」「庁南城」は落城しそのまま廃城となる。

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庁南城の遺構はほとんど残されておらず、城主館跡や土塁らしきものが残るのみである。






【庁南城・場所・アクセス】
千葉県長生郡長南町長南1808

【庁南城地図】



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