飯山城:武田信玄の北信濃侵攻により高梨政頼が本城を追われ退去した飯山城【お城特集 日本の歴史】

飯山城/アクセス・場所・地図 武田信玄の北信濃侵攻により高梨政頼が本城を追われ退去した飯山城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
飯山城

【飯山城の説明】
飯山城は長野県飯山市飯山にあった平山城である。
築城時期は不明だが戦国時代にこの地域を治めていた「高梨政頼」が甲斐の武田信玄の侵攻により「高梨氏館」から支城である飯山城へ逃れた。

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第四次川中島の戦いでは上杉謙信の先方となり活躍するが旧領の復帰はならなかった。天正10年(1582年)以降は、上杉謙信の跡を継いだ「上杉景勝」の居城となり、城代として「岩井信能」が入城した。

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豊臣秀吉が天下を統一すると秀吉直臣である「石川光吉」が代官として北信濃を支配したが、慶長3年(1598年)には「関一政」が3万石で入封した。関氏は翌年に美濃土岐へと移封となり、その後、慶長8年(1603年)徳川家康の6男「松平忠輝」が川中島に18万石で入封した。

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飯山には忠輝の家臣である「皆川広照」が傅役として4万石で入れられたが、後に家康より除封された。その後、堀氏、佐久間氏、桜井松平氏、永井氏、青山氏と目まぐるしく城主が代わるが、享保2年(1717年)「本多助芳」が越後糸魚川より入封すると、以降本多氏の支配が10代続き明治維新まで飯山城を治めた。

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なお、明治元年(1868年)には旧幕府軍の「衝鋒隊」から攻撃を受け城下を焼かれた(飯山戦争)。現在の本丸跡は葵神社境内となり、二ノ丸は「城址公園」として整備されている。城の遺構は石垣や土塁が残っている。

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【飯山城・場所・アクセス】
〒389-2253 長野県飯山市飯山

【飯山城地図】



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