館林城:徳川四天王の1人榊原康政が10万石にて入封した館林城【お城特集 日本の歴史】

館林城/アクセス・場所・地図 徳川四天王の1人榊原康政が10万石にて入封した館林城【お城特集 日本の歴史】

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【城名】
館林城

【館林城の説明】
館林城は群馬県館林市城町にあった平城である。
築城時期は不明だが戦国時代初期(室町時代)に「赤井照光」により築城されたという伝記がある。

戦国時代に入ると上杉氏・北条氏との間で激しい戦いが繰り広げられ、最終的には北条氏の持ち城となった。天正18年(1590年)、豊臣秀吉が北条征伐に乗り出すと館林城は秀吉の軍勢に囲まれ開城・降伏した。

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北条氏滅亡後は関東に徳川家康の支配する地となり、家康の命を受けて「榊原康政」が10万石にて入封する。康政は中世城郭を近世城郭へと改修し城下町の整備にも務めた。

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江戸時代に入ると城主が次々と変わり、松平家、館林徳川家、松平家、太田氏、松平家、井上氏と続き、最後は出羽山形から「秋元志朝」が6万石で入封した。

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元治元年(1864年)、秋元礼朝が城主になると、礼朝は戊辰戦争の際に新政府軍に加担し、関東・東北方面の戦争に藩兵を派遣した。明治に入り廃藩置県により館林藩は廃藩して館林県となった。現在、城跡やその遺構はあまり残っていない。






【館林城・場所・アクセス】
〒374-0018 群馬県館林市城町

【館林城地図】



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