出石城(有子山城):羽柴秀吉の但馬攻略により落城した山名祐豊の居城 出石城【お城特集 日本の歴史】

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【城名】
出石城(有子山城)

【出石城(有子山城)の説明】
出石城は兵庫県豊岡市出石町にあった城である。
但馬国守護の山名氏が全盛期の頃に「山名時義」が「此隅山城」を築いたのが始まりとされている。

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戦国時代の当主「山名祐豊」は有子山に「有子山城」を築き本拠をこの城へと移した。天正8年(1580年)、羽柴秀吉による但馬征伐が始まると毛利輝元へ加担していた祐豊の有子山城は包囲され落城し但馬国山名氏は滅亡した。

有子山城にはしばらくの間、城代が置かれていたが、天正13年(1585年)前野長康に与えられ、次いで小出吉政が城主を務めた。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが勃発すると小出吉政は西軍につき、弟の秀家は家康率いる東軍へ味方した。

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西軍は敗れたが秀家が東軍へ加担したことで小出家は改易を免れ、その罪は不問にされた。慶長9年(1604年)、小出吉英により「有子山城」山上の天守部分が廃され、山麓の郭および館を出石城と改名し幕府に届け出た。

そして、江戸時代の一国一城令により但馬国の城は出石城のみとなる。小出氏は城下町を整備しここに出石藩が成立する。しかし、元禄9年(1696年)、幼少の小出英及が死去すると跡継ぎがいないことで小出家は改易された。

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その後、藤井松平氏、仙石氏が城主を務め幕末に至り廃藩置県を迎えている。明治期の廃城令により出石城は破却されたが堀、石垣などが現存し、隅櫓、登城門・登城橋などが復元され周囲一帯は「登城橋河川公園」として整備されている。






【出石城(有子山城)・場所・アクセス】
〒668-0214 兵庫県豊岡市出石町内町

【出石城(有子山城)地図】



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