浜松城:三方ヶ原の戦いはここから出撃 駿河国配領前の徳川家康の本城 浜松城【お城特集 日本の歴史】

浜松城:三方ヶ原の戦いはここから出撃 駿河国配領前の徳川家康の本城 浜松城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
浜松城

【浜松城の説明】
浜松城は静岡県浜松市にあった平山城である。
元々は今川義元の家臣「飯尾氏」が城主をつとめており、この時は「曳馬城」と呼ばれていた。

今川義元が桶狭間の戦いで討ち死にすると跡を継いだ「今川氏真」に仕えるが思わぬ離反の疑惑をもたれ飯尾家当主の連竜は謀略により討たれてしまう。
その後、徳川家康の攻略が開始され、城内には徳川派と今川派に分裂した。

浜松城:三方ヶ原の戦いはここから出撃 駿河国配領前の徳川家康の本城 浜松城【お城特集 日本の歴史】

この分裂を利用し、家康は楽々と浜松城の攻略に成功する。
以後、東に目を向けた家康の本拠地となり城は大改修され名前も浜松城となる。

元亀3年(1573年)、武田信玄の西上作戦が開始されると遠江の国の家康方の城は次々と陥落する。
信玄は家康の本城の浜松城を攻めるそぶりを見せず、これを無視して通過しようとし、これに激怒した家康は野外決戦を覚悟し、城を出て打って出る。

浜松城:三方ヶ原の戦いはここから出撃 駿河国配領前の徳川家康の本城 浜松城【お城特集 日本の歴史】

しかし、これは信玄が家康を城からおびき出す巧妙な作戦で家康はまんまとその罠にはまったことになる。
ついに武田軍と徳川軍は激突し(三方ヶ原の戦い)家康は善戦するも徐々に兵力の差が表面化し、徳川軍は総崩れに陥る。

家康自身も数名の家臣と浜松城に逃げ帰るという散々な敗北であった。
浜松城を包囲し攻撃するとみられた武田軍はそれをせず、軍をそのまま西へと進めたがその途中に信玄は病に倒れその生涯を閉じることとなる。

浜松城:三方ヶ原の戦いはここから出撃 駿河国配領前の徳川家康の本城 浜松城【お城特集 日本の歴史】

信玄の死後、家康は失った城や領地を回復しそのまま遠江の支配を確立していくこととになる。
浜松城は明治維新後に廃城となり破壊されるが1950年に「浜松城公園」となり、1958年に鉄筋コンクリート製の復興天守が再建され、1959年には浜松市の史跡として指定された。

【浜松城・場所・アクセス】
〒430-0946 静岡県浜松市中区元城町100-2






【浜松城地図】



関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


ページ上部へ戻る