上田城:徳川軍を二度にわたり撃破した真田昌幸の上田城(前編) 【お城特集 日本の歴史】

上田城:鉄壁の防御体制を誇った堅城 真田昌幸の上田城(後編) 【お城特集 日本の歴史】

【城名】
上田城

【城の説明】
「徳川軍を二度にわたり撃破、鉄壁の防御体制を誇った堅城」

真田昌幸が築いた上田城は慶長五年(1600年)の関ヶ原合戦後いったん破却され、真田氏の次の城主仙石氏により復興されている。この復興工事は真田氏上田城の埋め堀を、再び掘削するなどしたものだった。

上田城:徳川軍を二度にわたり撃破した上田城(前編) 【お城特集 日本の歴史】

したがって、復興上田城の基本プラン(縄張)は真田昌幸創建の時と、ほとんどかわっていないと見てよい。さて、その上田城は千曲川の切り立った段丘崖上に位置する。本丸とこれを囲む二の丸ともに背後は、この崖と千曲川を背負っている。また、百閒掘などと呼ばれた二の丸北から西にかけての大堀は、もともとは自然の河道で、これを拡大して土手で仕切って大水濠としたものだった。

上田城:徳川軍を二度にわたり撃破した上田城(前編) 【お城特集 日本の歴史】

そして、ここを流れていた川は北へ移し、城の北西で直角に曲げて千曲川へ落としている。この川自体が上田城・城下町の北と西の外堀にあたる。二の丸の東側には三の丸が配された。こちらは上田城の大手方面にあたるのだが、ここは南北の堀で区画した。

上田城:徳川軍を二度にわたり撃破した上田城(前編) 【お城特集 日本の歴史】

昌幸の跡を継いだ信幸(信之)は、この大手の堀の外へ町を拡大したが、昌幸時代の上田城は、ほぼこの堀と矢出沢川に囲まれた範囲を惣構えとし、その中に城下町までそっくり取り込んでいた構造だったと考えられる。
(歴史群像シリーズ真田三代より)






【上田城・場所・アクセス】
長野県上田市二の丸6263番地イ
現在は旧二の丸内が上田城跡公園という公園になっております。

【上田城地図】



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