大洲城:宇都宮氏から藤堂高虎・脇坂安治・加藤嘉明へと城主が変わった大洲城(復元木造天守)【お城特集 日本の歴史】

【城名】
大洲城

【城の説明】
大洲城は現在の愛媛県大洲市大洲にあった城である。伊予の守護「宇都宮氏」がこの地に築城したのだが大洲城の始まりとされている。南伊予の宇都宮氏は中国地方を制覇した毛利氏の侵攻により一度は降り、その後四国統一を目指す「長宗我部元親」の侵攻を受けると大洲の地を追われた。

大洲城:宇都宮氏から藤堂高虎・脇坂安治・加藤嘉明へと城主が変わった大洲城(復元木造天守)【お城特集 日本の歴史】

天正13年(1585年)豊臣秀吉の四国統一が開始されると、毛利家家臣の「小早川隆景」によって城は落城し、大洲城は伊予35万石を拝領した小早川家の支城となる。その後、小早川氏が九州へ転封になると「戸田勝隆」「藤堂高虎」「脇坂安治」らがこの地を治めた。

大洲城:宇都宮氏から藤堂高虎・脇坂安治・加藤嘉明へと城主が変わった大洲城(復元木造天守)【お城特集 日本の歴史】

藤堂家や脇坂家が城主の時に天守築城など、大々的に城を改修し近世城郭が誕生した。元和3年(1617年)になると「加藤貞泰」が大洲へ入封しそのまま明治維新まで加藤家がこの地を治めた。明治に入り城は破却されたが、少しずつ復元が進み天守に至っては戦後初の木造4重4階建造物である。

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台所櫓・高欄櫓などが国の重要文化財に指定されており、日本100名城82番に選定されている。






【大洲城・場所・アクセス】
〒795-0012 愛媛県大洲市大洲903

【大洲城地図】



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