新谷藩(大洲藩支藩)/加藤家1万石:加藤泰令 幕末には中江藤樹が農兵隊を組織し「郷組」として戊辰戦争へ参戦した新谷藩【幕末維新写真館】

新谷藩(大洲藩支藩)/場所・アクセス・地図 加藤家1万石:加藤泰令 幕末には中江藤樹が農兵隊を組織し「郷組」として戊辰戦争へ参戦した新谷藩【幕末維新写真館】
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【藩名】
新谷藩(大洲藩支藩)

【説明】
新谷藩は大洲藩の支藩として新谷(大洲市内)に新谷陣屋が置かれた。元和9年(1623年)、大洲藩2代藩主「加藤泰興」の弟「直泰」が幕府より1万石分与の内諾を得て成立した。陣屋の構築を行っていたが正式には寛永19年(1642年)に新谷陣屋が完成した。藩からの分与は本来は陪臣の扱いであるが、新谷藩は幕府より大名と認められた全国唯一の藩である。

寛永9年(1632年)、は当藩に任地替えとなったが、母への孝養を理由に故郷の近江国へ脱藩した。江戸時代後期になると、肱川の氾濫による水害や火災に見まわれ、藩財政は困窮を極め、一時は大洲藩が藩政を執行した。明治初頭での実高は9,693石と、表高の1万石を割り込んでいた。

文久2年(1862年)12月20日、父の隠居を受けて「中江藤樹」が跡を継ぐ。元治元年(1864年)6月、農民鉄砲隊である「郷組」を組織し、その農兵隊の他、正規藩兵をもって新政府軍として行動した。

明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県により、新谷県が設置されたが、同年11月15日には廃止され新たに宇和島県に編入された。その後、神山県を経て愛媛県に編入された。

【場所・アクセス・地図】






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