福本藩/池田家1万573石:池田喜通 生野の変や長州征伐に参戦するも戊辰戦争では新政府軍に属した福本藩【幕末維新写真館】

福本藩/場所・アクセス・地図 池田家1万573石:池田喜通 生野の変や長州征伐に参戦するも戊辰戦争では新政府軍に属した福本藩【幕末維新写真館】
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【藩名】
福本藩

【説明】
福本藩は現在の兵庫県神崎郡神河町福本に藩庁を置いた藩である。寛文3年(1663年)、「池田政直」に対して播磨国内にて神東郡・神西郡・印南郡1万石が与えられ福本藩が立藩された。寛文5年(1665年)、政直は嗣子なく没したため遺領は政直の弟である政武に7000石と政済には3000石が分与され旗本となった。

このうち福本7000石の領主となった政武は、交代寄合の格式となった。貞享4年(1687年)に政武が没すると、嗣子の政森に6000石と次男の政親には1000石が分与された。第7代当主「池田喜通」は安政2年(1855年)藩校「乾々館」を開き、文久3年(1863年)の「生野の変」鎮圧や元治元年(1864年)の第一次長州征伐に参加して功績を挙げている。慶応4年(1868年)6月には鳥取藩から蔵米3500石を与えられ、石高直しにより10573石となり、再び大名家となった。

同年に勃発した「戊辰戦争」では新政府軍に協力して姫路藩攻めに参加した。明治2年(1869年)に藩校は移設され名も「時習館」と改称された。明治3年(1870年)、藩主「池田徳潤」は福本藩知事となるが、同年11月に藩財政困窮のため鳥取藩に併合され廃藩となった。

【場所・アクセス・地図】






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