園部藩/小出家2万4千石:小出英尚 藩主不在の中西園寺公望指揮する山陰道鎮撫軍に従った園部藩【幕末維新写真館】

園部藩/場所・アクセス・地図 小出家2万4千石:小出英尚 藩主不在の中西園寺公望指揮する山陰道鎮撫軍に従った園部藩【幕末維新写真館】
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【藩名】
園部藩

【説明】
園部藩は、元和5年(1619年)12月、但馬国出石藩主であった「小出吉親」が新たに入封してきたことにより立藩された。所領はおよそ2万9800石である。初代藩主吉親は園部城築城や検地、城下町の建設や治水事業に励んで藩政の基礎を固めた。

第4代藩主「小出英貞」は幕府の要職である奏者番、寺社奉行、若年寄を歴任し、次男の「小出英治」に1000石を分与してた。幕末期には早くから御所の警備を行なうなどして官軍側(新政府軍)に恭順した。

慶応3年(1868年)11月、朝廷の命令に応じて上洛し、早くから新政府側を支持する姿勢を示し、慶応4年(1869)年1月、藩主が上洛中だったものの、園部藩の重臣たちが家中の意見をまとめ「西園寺公望」が指揮する山陰道鎮撫軍に従った。

新政府は万が一、京都が戦火に飲み込まれる事態となった場合は明治天皇を園部城に避難させるという策まで立てた。そのため、慶応4年1月に英尚は新政府から園部城改築の許可を得て、同年4月には園部城改築を終える。

明治2年(1869年)の版籍奉還で最後の藩主「小出英尚」は園部藩知事となり、明治4年(1871年)7月の「廃藩置県」で園部藩は廃藩となったが、なおも英尚は園部県知事となった。園部県は同年8月に廃され、同年11月には京都府に編入された。

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