尼崎藩/松平家4万5千石:松平忠興 戊辰戦争ではいち早く新政府軍に従った尼崎藩【幕末維新写真館】

尼崎藩/場所・アクセス・地図 松平家4万5千石:松平忠興 戊辰戦争ではいち早く新政府軍に従った尼崎藩【幕末維新写真館】

【藩名】
尼崎藩

【説明】
青山氏4代「青山幸秀」は、正徳元年(1711年)に信濃国飯山藩へ転封となり、代わって「松平忠喬」が遠江国掛川藩から入封し、青山氏の体制を引き継いだ。しかし、武庫郡・菟原郡・八部郡内が幕府に召し上げられ4万石に減少した。さらに今津、西宮、御影、兵庫なども幕府に召し上げられた。

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引き換えに播磨国内各地の71か村が与えられ、石高は5千石の増加となったものの、実収入は激減した上に、藩領が分断されたことから領国経営が機能しなくなり藩政は傾いていった。

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慶応4年(1868年)1月の「戊辰戦争」では早くから新政府に恭順し、所領を安堵された。2月に徳川家との訣別の証として姓を桜井と改称する。

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明治4年(1871年)廃藩置県により尼崎県となり、翌年、兵庫県に編入された。最後の藩主「松平忠興」は西南戦争の際、博愛社(後の赤十字社)を設立した一人となった。

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