山上藩/稲垣家1万3千石:稲垣太祥 当初佐幕派だったが途中から新政府に属した山上藩【幕末維新写真館】

山上藩/場所・アクセス・地図 稲垣家1万3千石:稲垣太祥 当初佐幕派だったが途中から新政府に属した山上藩【幕末維新写真館】

【藩名】
山上藩

【説明】
元禄11年(1698年)3月7日、若年寄であった「稲垣重定」が常陸国から山上1万3000石にて移封され山上藩が立藩された。歴代藩主の多くが若年寄や大坂加番、大番頭や奏者番などの要職を歴任したことで、藩財政のひっ迫を招いた。

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幕末期の藩主「稲垣太清」は大番頭や大坂定番、海軍奉行などの要職を歴任して佐幕派の立場をとったが、戊辰戦争勃発頃から藩主「太清」が病に倒れて「稲垣太祥」が代理として藩政を執った。そして、山上藩は新政府側に与するようになった。

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明治2年(1869年)の版籍奉還で太祥は山上藩知事となった。その後、山上藩では民政局、裁判所、藩校である文武館などが創設されるなどの藩政改革が行なわれた。明治4年(1871年)7月の「廃藩置県」で山上藩は廃藩となり山上県となる。同年11月、山上県は大津県に吸収され、翌年には滋賀県に編入された。

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【場所・アクセス・地図】






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