伊勢林藩/織田家1万石:織田信重 家督相続を巡り改易された藩祖織田信包の林藩【幕末維新写真館】

伊勢林藩/場所・アクセス・地図 織田家1万石:織田信重 家督相続を巡り改易された藩祖織田信包の林藩【幕末維新写真館】

【藩名】
伊勢林藩

【説明】
「織田信包」の長男「織田信重」は、慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」で徳川家康率いる東軍に与したため、林1万石の所領を安堵され、林藩を立藩した。しかし実権は父の信包が握っていた。その信包が「大坂冬の陣」直前に72歳で死去すると、遺言により家督は三男の「織田信則」が後を継ぐこととなった。

これに兄の信重が不満をもって幕府に訴えるが、元和元年(1615年)6月、徳川家康の勘気に触れて改易となり林藩は廃藩となった。外様大名を些細な理由でも潰しておきたいという徳川幕府の策謀に陥ったと考えられる。

【場所・アクセス・地図】






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