浜松藩/井上家6万石:井上正直 徳川家達が駿府70万石で移封となり上総鶴舞藩へ替地を賜った浜松藩【幕末維新写真館】

浜松藩/場所・アクセス・地図 井上家6万石:井上正直 徳川家達が駿府70万石で移封となり上総鶴舞藩へ替地を賜った浜松藩【幕末維新写真館】

【藩名】
浜松藩

【説明】
天保5年(1834年)、「水野忠邦」は老中となったことから1万石の加増を受けて浜松7万石の大名となる。しかし、「天保の改革」に失敗したことから弘化2年(1845年)9月に2万石を減封され、家督を子の「水野忠精」に譲り隠居の上、さらに蟄居に処された。そして、11月には出羽山形藩に移封となる。

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その後、「井上正春」が上野館林藩から6万石で入封する。明治元年(1868年)9月、第2代藩主「井上正直」は「徳川家達」が駿河・遠江・三河70万石にて駿府藩主になったことから、上総鶴舞藩に移封され浜松藩は廃藩となった。

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浜松藩領はその後、駿府藩の支配を経て静岡県に編入された。他に井上氏の支藩が下総高岡藩と常陸下妻藩があり、どちらも「廃藩置県」まで存続している。

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【場所・アクセス・地図】






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