田中藩/本多家4万石:本多正訥 徳川家達の駿河入封のため安房長尾藩へ移封となり廃藩【幕末維新写真館】

田中藩/場所・アクセス・地図 本多家4万石:本多正訥 徳川家達の駿河入封のため安房長尾藩へ移封となり廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】
田中藩

【説明】
享保15年(1730年)7月11日に田中藩主「土岐頼稔」が大坂城代として転出した。土岐家の転出直後の7月28日、上野沼田藩から「本多正矩」が4万石で入封する。

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本多氏は歴代藩主の相次ぐ幕閣入りで出費が激しく、藩財政は早くから苦しめられた。このため、第6代藩主「本多正寛」は藩政改革に着手したが効果は無かった。

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明治元年(1868年)9月、第7代藩主「本多正訥」は「徳川家達」が新政府から駿河国70万石を与えられ、駿河・遠江・三河を支配することになり、正訥は安房長尾藩に移封され田中藩は廃藩となった。

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