赤沼藩(赤松藩)/内藤家1万5千石:内藤正友 信濃国岩村田藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

赤沼藩(赤松藩)/場所・アクセス・地図 内藤家1万5千石:内藤正友 信濃国岩村田藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】
赤沼藩(赤松藩)

【説明】
内藤正勝は武蔵国比企郡をはじめ、常陸国・下総国・上野国・上総国などで5000石を領していた。元禄6年(1693年)11月28日、正勝は大坂城番に転身したため、新たに摂津国や河内国において1万石を加増されて諸侯に列し、ここに赤沼藩を立藩した。

しかし正勝は翌年8月7日に大坂で死去し、後を子の正友が継いだ。正友は元禄16年(1703年)に領地を信濃国佐久郡岩村田に移されたため(岩村田藩)、赤沼藩は廃藩となった。

【場所・アクセス・地図】






【城地図】

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


ページ上部へ戻る