原市藩/西尾家1万2千石:西尾忠永 上野国白井藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

原市藩/場所・アクセス・地図 西尾家1万2千石:西尾忠永 上野国白井藩へ移封のため廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】
原市藩

【説明】
小田原征伐後に関東に入封した「徳川家康」は、尾張国出身の譜代の家臣「西尾吉次」に5000石を与えた。慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」でも戦功を挙げた吉次は、慶長7年(1602年)に美濃国内に7000石を加増され、合計1万2000石を領する大名となった。これに伴い、「原市藩」を立藩した。そして、菩提寺となる妙厳寺や地蔵堂を再興する。

吉次は慶長11年(1606年)に死去し、後を嫡子「西尾忠永」が継いだ。忠永は元和2年(1616年)に上野国白井藩へ移封となったため、ここに原市藩は廃藩となり、その所領は天領となった。現在でも、藩の陣屋を構えた上尾市上尾下の字名が陣屋跡として残っている。また、同時に上村(上尾市上)にも陣屋を設けたと言われている。

【場所・アクセス・地図】






関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


ページ上部へ戻る