茂木藩/細川家1万6千2百石:細川興貫 谷田部藩の移封により立藩された茂木藩【幕末維新写真館】

【藩名】
茂木藩

【説明】
藩祖は「細川藤孝(幽斎)」の二男で、「細川忠興」の弟である「細川興元」である。慶長15年(1610年)の茂木氏の秋田転封の後をうけ、27ヶ村1万54石で入封した。元和2年(1616年)、興元は「大坂夏の陣」における軍功で常陸国筑波郡谷田部6200石を加増され、藩庁(陣屋)を谷田部に移す。以後、谷田部藩として存続した。

なお藩庁を谷田部に移転した後も茂木に藩主及び藩主一族が住することもあり、寛政重修諸家譜の「細川興徳」の記載に「茂木あるいは谷田部に住し」とある。明治4年(1871年)2月、谷田部藩主「細川興貫」は藩庁を茂木に移したが、同年7月には廃藩置県で廃藩となった。この時の茂木藩は、熊本藩の支藩という位置付けであった。

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