小幡藩/奥平松平家2万石:松平忠恕 戊辰戦争では早くから新政府軍に恭順して家名を保った小幡藩【幕末維新写真館】

小幡藩/場所・アクセス・地図 奥平松平家2万石:松平忠恕 戊辰戦争では早くから新政府軍に恭順して家名を保った小幡藩【幕末維新写真館】

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【藩名】
小幡藩

【説明】
上野上里見藩より、若年寄の「松平忠恒」が2万石で入封する。奥平松平家の歴代藩主4人は若年寄、寺社奉行、奏者番などを歴任した。小幡藩は毎年財政難となり藩の借金は、天保15年(1844年)には収入に対して10倍近くにまでなったと言われている。

明治元年(1868年)の「戊辰戦争」では早くから新政府軍に恭順して家名を保った。翌年の「版籍奉還」で最後の藩主「松平忠恕」は小幡藩知事となり、明治4年の「廃藩置県」で小幡藩は廃藩され小幡県となり、同年10月には群馬県に編入された。

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