仁賀保藩/仁賀保家1万石:仁賀保挙誠 江戸時代に分与旗本となり廃藩【幕末維新写真館】

仁賀保藩/仁賀保家1万石:仁賀保挙誠 江戸時代に分与旗本となり廃藩【幕末維新写真館】

【藩名】
仁賀保藩

【説明】
寛永元年2月14日(1624年4月1日)に挙誠が死去すると、その所領は長男・仁賀保良俊に7,000石、次男・仁賀保誠政に2,000石、三男・仁賀保誠次に1,000石とそれぞれ分封されて旗本となり、仁賀保藩はわずか1年で廃藩となった。

寛永5年に主馬が、同8年に良俊が死去し、両家は無嗣断絶したが、誠政流(仁賀保二千石家)と誠次流(仁賀保千石家)は平沢に共通の陣屋を置いて存続し、明治維新を迎えた

【場所・アクセス・地図】






関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


ページ上部へ戻る