矢島藩/生駒家1万石:生駒親敬 戊辰戦争では新政府軍に与したため庄内藩の攻撃を受け陣屋を自焼した矢島藩【幕末維新写真館】

矢島藩/場所・アクセス・地図 生駒家1万石:生駒親敬 戊辰戦争では新政府軍に与したため庄内藩の攻撃を受け陣屋を自焼した矢島藩【幕末維新写真館】

【藩名】
矢島藩

【説明】
慶応4年(1868年)の「戊辰戦争」において、新政府軍に対抗すべく「奥羽越列藩同盟」が結成される。矢島藩12代当主「生駒親敬」は当初同盟軍に加盟したが、久保田藩からの誘いを受け、家中を勤王論に統一し新政府軍に与した。これにより庄内藩からの攻撃を受け、親敬は矢島陣屋を自焼して久保田藩へ撤退する。

新政府軍の援軍が到着すると久保田藩や本庄藩らと共に奥羽各地の鎮撫につとめた。戦後の高直しの結果、矢島藩は1万5,200石の諸侯に列し、讃岐守を称することを許される。翌年、戊辰戦争での功績により賞典禄1,000石を下賜される。しかし明治4年7月21日(1871年8月29日)の「廃藩置県」で矢島県となり、同年11月2日には秋田県へ統合された。

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