一関藩(仙台藩支藩)/田村家3万石:田村崇顕 戊辰戦争では仙台藩と共に奥羽越列藩同盟に加盟したため減封された一関藩【幕末維新写真館】

一関藩(仙台藩支藩)/場所・アクセス・地図 田村家3万石:田村崇顕 戊辰戦争では仙台藩と共に奥羽越列藩同盟に加盟したため減封された一関藩【幕末維新写真館】

【藩名】
一関藩(仙台藩支藩)

【説明】
明治元年(1868年)の「戊辰戦争」では、一関藩は仙台藩に従い「奥羽列藩同盟」に参加したが後に仙台藩とともに新政府にへ降伏した。戊辰戦争後の明治2年(1869年)、3千石の削減の上で藩主の実弟「田村崇顕」に家督相続を許されたが、同年4月に版籍奉還した。崇顕は一関藩知事に任じられたものの、明治4年(1871年)の「廃藩置県」によって一関藩は廃藩となった。

一関藩(仙台藩支藩)/田村家3万石:田村崇顕【幕末維新写真館】

一関藩は、松の廊下で刃傷事件を起こした赤穂藩主「浅野長矩」を預かり、江戸上屋敷(藩邸)内で切腹させたことでも知られる。藩邸跡の日比谷通り新橋四丁目交差点脇の歩道に、切腹した場所を示す「浅野内匠頭終焉之地」の石碑がある。田村家菩提寺である祥雲寺には「浅野長矩」の供養塔がある。

一関藩(仙台藩支藩)/田村家3万石:田村崇顕【幕末維新写真館】

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